さて、早速だが、久々の「週刊EOE」を簡単ながらお届けしたい。
編集部はこのところ何をやっていたんだ、というEOEファンも多いであろう。先に断っておけば、この間も、毎日の稽古後の取材は欠かしていない。何か大きな動きが一度おきればすぐに動けるよう取材を欠かすことは決してなかった。
では、何故久々にお届けするのか。その理由は単純である。今朝の制作部のブログに「生き様」「死に際」という言葉が踊っていたからである。
この言葉は、厳密に言えば、制作部の言葉ではない。この夏、稽古場で何度も真生の口から飛び出した言葉である。実際、とある日の稽古後の取材でも真生からこんなことを言われたことがある。
「おい、GK。もうEOEはくたばったと思ってるだろう。」
こんな時、「そんなことないですよ。」と当たり障りの無い返答をすれば、真生のその日の取材は、それっきりになることは分かっている。だから、どんな返答がいいか考えようとした矢先だった。
「うちは『生き様』見せ付けてきた劇団だから、くたばる時も『死に際』見せ付けてやるよ。」
そんな言葉が間髪入れずに飛び込んできて、その日の真生への取材はそれで終わりとなった。
「死に際」見せ付けてやる。
言葉だけ聞くと、EOEファンとしても心配になってくるだろう。しかし、その言葉を言っている時の真生は笑顔だったのが印象である。実際、この夏の稽古を見ていると、稽古の最初は筋トレというのが、劇団EOEのルーティンワークであるが、その筋トレの輪には、役者陣に加えて、真生が汗を流す姿があった。
劇団EOEの稽古では、最初の1,2時間はノンストップで汗を流すことが多いが、とある日、筋トレ終わりに、真生に取材が出来たタイミングが出来た。当然ながら、筋トレに加わる意図を聞いてみたら、その答えは意外なものであった。
「別に役者で出ようとしている訳ではないですよ笑 ただ、こうやってみっちり汗を流せるのは有り難いですよ。公演があろうがなかろうが、こうやって身体を作れるのはね。」
一瞬煙に巻かれた回答かとも思ったが、そこにはEOEにイズムが満載の言葉が隠されていた。
公演があろうがなかろうが稽古をする。
そう言えば、このところの取材で飛び出た言葉にこんなものもあった。
うちは「役者力」、「役者力」って言うけど、そんなものなくても売れる人間もいれば、お客様を魅了する人間もいるわけじゃない。じゃあ、うちはどうするのかって、最近、現実を突きつけられるよ。
真生の中に大きな葛藤があることは確かであろう。そして、だからこそ、EOEは何時ものように、稽古を積み、「逆行」かもしれないが、自らのスタイルを貫こうという意図なのであろう。但し、公演を打っていないというのは大きなデメリットもある。お客様の「記憶」から消えることだ。その点は真生も百も承知であろう。だからこそ、「死に際」という言葉も出ているはずだ。
但し、そんな言葉が出ているからと言って、「終わり」に向かっているとは限らない。否、「終わりのはじまり」には既に足を踏み込んでいるのかもしれない。ただ、今の状況だからこそ何が生まれるのか、そんな期待もあることは確かだ。人生を舞台上にそのまま持ち込み、見せ付けてきたのが劇団EOEの歴史ではないか。
EOEファンの「記憶」
死に際
そんな言葉が頭の中を交錯しながら取材を行った。それが今年の夏の現場であった。ともかく、今は、劇団EOEの「生き様」と「死に際」を一刻も早くEOEファンに見せ付けて欲しい。そう願うばかりである。
さて、今週も週刊EOEをお届けしたい。今週の劇団ブログでは高橋がやけに張り切っているが、その張り切りに当編集部も「噛み付き合い」を挑む所存である。
ともかく、「新たなスタート」からもうすぐ一ヶ月。稽古場では、役者陣と共に汗を流す真生の姿が見られる。この一ヶ月、稽古後の取材でも口を開くことは一切ない。ただ、EOEらしく、愚直に、真摯に稽古を積んでいる印象だ。
少なくとも、この光景から考えられることは、劇団EOEが、少しずつ上向き状態に入っているというか、そろそろ動き始める予兆ではないかということだ。これまでも、真生が稽古後の取材で一切口を開かない期間は多々あった。しかし、それらはEOE風に言うのであれば、「開戦前」である。これから迎えるべき闘いに備えて、心身を作っている。それが、今の真生であり、今の劇団EOEであろう。
そう言えば、この1年、真生の口から出たり、ツイッター並びにブログで書かれたりした言葉で気になるものがある。それは、「小・小劇団」という言葉だ。去年のことになるが、真生に取材した際、こんなやりとりがあった。
「おい、GK。ウチの劇団は、メジャーかインディーかと問われたらどっちだと思う。」
「大将は、メジャーだと自負するんですよね。」
「バカ、今のウチは、どインディーだぞ。」
ウチはどインディー。これは紛れもない真生の本音であろう。はっきり言えば、今の劇団EOEに、かつての輝きはない。それは、誰もが認めるところであろう。ただ、その状況に甘んじてはいない。だからこそ、先のやり取りにも、「今のウチ」というように、注釈が入るのである。
今の劇団EOEに、かつての輝きはない。その事実は真生も百も承知であろう。だが、そもそも、劇団EOEは、「人間ドラマ」を見せ付けることで、あそこまでのし上がった。自分達の涙も傷も痛々しいほど見せつけて、あそこまでのし上がった。となると、これだけのどん底に叩き落されてから、劇団EOEが何を見せ付けるかというのが勝負であるし、心底見せ付けてほしいというのが、当編集部の願いでもある。
「逆行」のど真ん中
劇団EOEは、そんな言葉をキーワードにして立ち上がった。真生の口からも「劇団なんて組織体系は最早時代遅れ」という言葉は何度も飛び出ている。だが、時代遅れと言い切るからこそ、そこでどんな「逆行」を劇団EOEは見せ付けてくれるのかと思う次第である。
劇団EOEよ、今こそ、新たな「逆行」を見せ付けてくれ!!